【浄土宗について】

浄土宗は、今からおよそ850年ほど前、法然上人(ほうねんしょうにん)という方が、お開きくださった宗派です。

仏教というと、いろいろな宗派があって、なんだかよくわかりにくいですね。たしか中学や高校の日本史の時間にそういうのをざっと勉強したはずですが、「キリスト教やイスラム教だと神様は一人だけなのに、仏教はいっぱい仏様がいて、ややこしい!」「宗派によって、何がどう違うのかよくわからない」そういうお考えの方は、けっこういらっしゃるようです。

たしかに仏教には、たくさんの仏さまがいらっしゃいます。「お釈迦様(釈迦牟尼仏)」「阿弥陀様(阿弥陀仏)」や大日如来様、薬師如来様等々、そして、宗派によって、どの仏様を信仰するかも異なってきます。でも、宗派は違っても同じ仏教ですから、目的は同じなのです。たとえて言えば、同じ山に登っているようなものです。山頂というゴール(=目的)は、同じなのです。ただ、その山頂を目指すのに、静岡県の側から登ろうとする人もいるし、山梨県の方から登ろうとする人もいる。それと同じように、仏教の目的を目指すのに、浄土宗というルートで登る人もいるし、他の宗派というルートで登る人もいる。それだけのことです。浄土宗の教えを信仰することは、決して多宗派を否定することではないということは、申し上げておきたいと思います。

法然上人

その上で、浄土宗の教えとは何か、これについて考えてみましょう。

【浄土宗の教え】

我々人間は、必ず誰しもが死にます。お金持ちの人も貧しい人も、男も女も、肌の色も関係ありません。いつか必ず死にます。人は死ぬとどうなるのでしょう。仏教では、これを「六道輪廻(ろくどうりんね)」という考え方で説明します。

私たちは「……… → 生まれる → 死ぬ → 生まれる → 死ぬ → ………」を繰り返しているのです。

その生まれ変わりを繰り返している世界は6つあって、

  • 天道、六道の中では最もすぐれた世界
  • 人道、我々人間の世界
  • 修羅道、絶えず戦いのある世界
  • 餓鬼道、ものが食べられない飢えた世界
  • 畜生道、けだものに生まれる世界
  • 地獄、説明の必要もないですね。恐ろしいところです。

この6つの世界を私たちは、生まれ変わりしているのだそうです。
「それなら一番いいところに行きたい」
「また人間に生まれたい」
誰でもそう考えますね。「私は絶対地獄に行きたい」なんていう人は、まずいないでしょう。

でも、一番いい「天道」に生まれても、また必ず寿命が来るのです。するとまた死ぬのです。死んだら、次は「六道」のどこに生まれるかわかりません。「次、地獄だったらどうしよう」「六道」の世界を「輪廻」し続ける以上、ずっとこの不安がつきまとうことになるのです。
仏教では、この「六道を輪廻することの苦しみ」から脱することを考えます。どうしたらこの生まれ変わりをやめられるか。その答えとして仏教がたどり着いたのは、「さとりをひらく」ということでした。「さとりをひらく」ことで、この「六道」の世界を生まれ変わり生まれ変わりすることをやめることができる、そう考えたのです。

ではどうしたらその「さとりをひらく」ことができるのでしょうか。皆さんのまわりで「さとりをひらいた」人はどなたかいらっしゃいますか。
かのお釈迦様はさとりをひらかれました。苦労して苦労して、やっとのことさとりの境地に達することがおできになったのです。
お釈迦様ですらとてつもない苦労の末でしか達することができなかった「さとり」、果たして私たちがその境地に達することはできるのでしょうか。・・・ちょっと難しそうですね。

そこで阿弥陀様の登場です。
阿弥陀様は、そんなさとることができない(=六道輪廻の世界を生まれ変わりしているしかない)私たちのために「極楽浄土」という、先の「六道」とはまったく別次元の世界をお創りくださったのです。そこに往生できれば、もう六道の生まれ変わりはありません。その「極楽浄土」で、私たちは「極」めて「楽」に修行させていただき、「さとりをひらく」ことを目指すのです。
ではどうすればその「極楽浄土」に往くことができるのでしょう。「六道」の世界を離れて「極楽浄土」に往く方法です。それは、「南無阿弥陀仏」そうお唱えする、それだけです。

「え?それだけ??」「ウソでしょ」そんな声が聞こえてきそうです。でもこのことはちゃんとお経に書かれているのです。『無量寿経』というお経の中に、「設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚」という文言があります。これは阿弥陀様がまだ阿弥陀仏という仏様になられる前、法蔵菩薩様という方だった時に、どうしたら仏になれるのか、ずいぶんお考えになった末、お誓いを全部で48お立てになりました。そのうちのひとつです。私たちの言葉に直してみますと、「もし私(阿弥陀様になられる前の法蔵菩薩様)が仏になろうとした時、あらゆる人々が心から私の作る国(極楽浄土)に往きたいと願い、十遍のお念仏(南無阿弥陀仏)をお唱えし、それでも極楽浄土に往くことができなかったとしたら、私は仏にはならない」というような内容になります。ちょっとややこしい文体になっているので、ゆっくりご理解いただければありがたいのですが、実際、法蔵菩薩様は仏様(阿弥陀仏)になっていらっしゃるのですから、この願いは成就したということになりますね。つまり、この願いが成就しているということは、私たちは十遍のお念仏をすれば極楽浄土に往かせてもらえる、ということなのです。

ですから浄土宗では、声に出してお念仏をすることが中心になります。お葬式でも法事でも、どんな場面でもお念仏です。もちろん、「ただお唱えすればいいんでしょ。南無阿弥陀仏、あ~お腹空いたなぁ。お昼何食べようかな。南無阿弥陀仏」これはダメです。「至心信楽」心から「どうか極楽浄土に往かせてくださいね、お願いします」そう思ってお唱えすることが肝要です。

そのように心からお念仏をすれば、阿弥陀様は必ず私たちを極楽浄土へと迎えてくださいます。そこには皆様がお親しかった方で、先にお亡くなりになっておいでの方々もいらっしゃいます。やがて、やがてではありますが、必ずまた会えるのです。その日を楽しみにしながら、ご一緒に「南無阿弥陀仏」、お念仏の道を進んでみませんか。